■ 延喜式内本宮社
創建の時期は不明であるが縁起書等によると、天地開くる時よりこの霊山に鎮まるとある。また、古事記 日本書紀と並ぶ、我国最古の地方誌である「常陸国風土記」(七二一年)に太古よりこのかびれの宮に天つ神 鎮まると記され、同じく「三代実録」には「清和天皇貞観十六年(八七四年)「神階が県北地方最高位の 従四位下に進められた事が書かれている。「続日本後紀」「古語拾遺」等にも当神社の記事が出ており、特に「延喜式神名帳」(九二七年)には常陸久慈郡総社ともいえる薩都神社(里野宮)の本宮として常陸二十八社の一つと記されている。徳川家からは神地一八九町が寄進され水戸藩の出羽三山として隆盛をきわめた。
■ 森厳を極めた霊地
数百年の老樹巨木鬱蒼と茂り広大な境内全域はまことに神さびて森厳を極める。かつてこの霊山はかびれ山又は葦原山、天香久山と呼ばれ、江戸時代に至っては水戸藩の出羽三山として水戸領は勿論遠く下総方面よりの信徒等も多く、神仏混淆による祭祀で境内に二十一の神社寺院があり寺町と呼ばれ、門前町である入四間宿を御町とよぶ大きな霊地を形成していた。明治維新によって神仏分離が実行され神社として純粋な形を保つため、大日堂、観音堂、念仏堂、大仁王門など取払われたが、境内の遺跡、祭りの内容などは今日でも他の神社と違った昔の名残を伝えている。 |
御岩山霊場図
当山御岩山は古来より神々が棲む聖地として崇められてきた霊山であります。文献で初めて現れるのは、713年編纂の「常陸國風土記」に「かびれの高峰(御岩山の古称)に天つ神鎮まる」と記され、考古学においても、それを裏付けるように、古代縄文人が神々を祀る祭祀遺跡等が発掘されております。
この霊場図は、中世より修験の山として栄えた名残ともいえるもので当山縁起の百八十八柱の神々がかかれており、県下最大関東有数の霊山であることがうかがえます。平地と隔絶した霊気漂う聖なる神域、御岩山はそういう特別な場所です。
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