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御由緒

 

当社は創建の時期は不明ですが、縄文晩期の祭祀遺跡の発掘や、日本最古の書の1つ「常陸國風土記」(721年)に「浄らかな山かびれの高峰(御岩山の古称)に天つ神鎮まる」とされる事から、古代より信仰の聖地であった事が窺えます。
御祭神は国之常立神 大国主神 伊邪那岐神 伊邪那美神 大山祗神 ほか20柱御岩山総祭神188柱を祀り、中世には山岳信仰とともに神仏混淆の霊場となり、江戸時代に至っては水戸藩初代徳川頼房公により出羽三山を勧請し水戸藩の国峰と位置づけ、徳川光圀公(水戸黄門さま)など藩主代々参拝を常例とする祈願所でありました。 
仏像の現存、境内の遺跡、祭事内容など古代信仰(古神道)、神仏習合色が色濃く残り、「神仏を祀る唯一の社」として、他の神社、寺院に見られない独自の信仰を伝えております。



拝殿
 
  
■ 御岩神社
 (おいわじんじゃ) 


御祭神
  • 国常立尊(くにとこたちのみこと)
  • 大国主命(おおくにぬしのみこと) 
  • 伊邪那岐尊(いざなぎのみこと) 
  • 伊邪那美尊(いざなみのみこと) 
  • 他二十二柱
かびれ神宮
境内社 かびれ神宮

かびれ神宮(かびれじんぐう)

御祭神
  • 天照大神(あまてらすおおみかみ)
  • 邇邇藝命(ににぎのみこと)
  • 立速日男命(たちはやひをのみこと)
御岩神社(境内社斎神社)
境内社 斎神社

斎神社(さいじんじゃ) 

御祭神
  • 天御中主神(あめのみなかぬしのかみ) 
  • 高皇産霊神(たかむすびのかみ) 
  • 神皇産霊神(かみむすびのかみ)  
  • 八衢比古神(やちまたひこのかみ) 
  • 八衢比賣神(やちまたひめのかみ)
薩都神社
薩都神社中宮
薩都神社中宮(さとじんじゃちゅうぐう) 

御祭神
  • 立速日男命(たちはやひをのみこと) 

全山総祭神 一八八柱

■ 延喜式内本宮社
創建の時期は不明であるが縁起書等によると、天地開くる時よりこの霊山に鎮まるとある。また、古事記 日本書紀と並ぶ、我国最古の地方誌である「常陸国風土記」(七二一年)に太古よりこのかびれの宮に天つ神 鎮まると記され、同じく「三代実録」には「清和天皇貞観十六年(八七四年)「神階が県北地方最高位の 従四位下に進められた事が書かれている。「続日本後紀」「古語拾遺」等にも当神社の記事が出ており、特に「延喜式神名帳」(九二七年)には常陸久慈郡総社ともいえる薩都神社(里野宮)の本宮として常陸二十八社の一つと記されている。徳川家からは神地一八九町が寄進され水戸藩の出羽三山として隆盛をきわめた。


森厳を極めた霊地
数百年の老樹巨木鬱蒼と茂り広大な境内全域はまことに神さびて森厳を極める。かつてこの霊山はかびれ山又は葦原山、天香久山と呼ばれ、江戸時代に至っては水戸藩の出羽三山として水戸領は勿論遠く下総方面よりの信徒等も多く、神仏混淆による祭祀で境内に二十一の神社寺院があり寺町と呼ばれ、門前町である入四間宿を御町とよぶ大きな霊地を形成していた。明治維新によって神仏分離が実行され神社として純粋な形を保つため、大日堂、観音堂、念仏堂、大仁王門など取払われたが、境内の遺跡、祭りの内容などは今日でも他の神社と違った昔の名残を伝えている。



御岩山霊場図
当山御岩山は古来より神々が棲む聖地として崇められてきた霊山であります。文献で初めて現れるのは、713年編纂の「常陸國風土記」に「かびれの高峰(御岩山の古称)に天つ神鎮まる」と記され、考古学においても、それを裏付けるように、古代縄文人が神々を祀る祭祀遺跡等が発掘されております。
この霊場図は、中世より修験の山として栄えた名残ともいえるもので当山縁起の百八十八柱の神々がかかれており、県下最大関東有数の霊山であることがうかがえます。平地と隔絶した霊気漂う聖なる神域、御岩山はそういう特別な場所です。

水戸藩の祈願所
御岩大権現、奥宮かびれ大神宮は水戸藩の祈願所として定められ藩主は代々参拝するのを常例とされた。また社殿の維持管理を始め参拝者より徴収する「山役銭」(税金)の管理まですべて水戸藩によって行われた。初代藩主徳川頼房公は敬神のため寛永七年出羽三山をこの地に移し其の後、光圀公尊慮を以て大日如来を 本地とする御岩大権現と改称。明暦三年二月十一日奥宮であるかびれ大神宮にて王政復古修史編さん(大日本史)の祈願「筆初めの儀」を行い、次の誓歌を詠んでいる。
 
  水戸光圀公
国の中にはびこる草根刈りたちて
君が千代田に返し奉らん
(徳川光圀)
徳川斉昭公
光圀の残せし関を我問えば
朝廷を守るしるしなりけり
(徳川斉昭)
歴代水戸藩主の崇敬社で営修の資を給された。

延宝元年癸丑八月二十四日  光圀公
貞享元年申子七月二十四日  光圀公
元禄四年辛未九月四日    光圀公
元禄七年申戌十月十日    綱条公
享保十一年丙午二月二十八日 宗堯公
寛政三年辛亥三月二十六日  治保公
文化六年巳巳八月二十一日  治紀公
 
神山・かびれ山(御岩山)
戦前の茨城四十五景、戦後の茨城百景の一つで海抜四九二メートル。至る所に奇岩怪石がそびえたち変化に富み訪れるものひとしくその異観に驚かされる。古代より信仰の山として祀られ祭祀遺跡が発掘されており中世より修験の山としてさかえ山伏など信仰者が登拝した。頂上は太平洋を一眼に遠く那須連山を一望にでき、現在はハイキングコースとしても多くの人々が訪れる。(頂上まで約三十分)
神木・天然記念物 三本杉
  • 幹周囲九メートル、高さ五十メートル推定樹齢六百年、幹が地上三メートルより三本に分れ均等に天をつく巨樹(県指定天然記念物、林野庁 全国「森の巨人たち百選」茨城県で唯一選定)
御岩神社三本杉
三本杉
大日如来像・阿弥陀如来像・仁王像
  • 大日如来像は鎌倉時代末期のものといわれ、当山の守り仏、特に未、申生まれの守り本尊という。(昭和四十四年十二月月一日、彫第八二号県指定有形文化財指定。斎神社拝殿内。像高六一糎、坐幅四二糎、寄木造、台座より光背先端まで一三九糎、作者不詳。鎌倉末期作と言ふ。)
御岩神社大日如来像
大日如来像
  • 阿弥陀如来像は室町時代のものといわれ、かつての常念仏堂の本尊である。(昭和四十七年七月二十七日、日立市指定文化財彫刻第一号、斎神社拝殿内。像高五九糎、坐幅四八・五糎、寄木造。桃山時代の作、作者不詳。)
御岩神社阿弥陀如来像
阿弥陀如来像
  • 大仁王門も平成の御世に入り百二十年ぶりに楼門として再建された。
御岩神社楼門
楼門(大仁王門)
御岩神社阿形像
楼門内 阿形像
御岩神社吽形像
楼門内 吽形像
  • 王政復古血判契石
  • 光圀公、斉昭公誓歌碑及び今上関御太満理
  • 山頂古代祭祀遺跡発掘品(鳥居龍蔵博士発掘・東京大学保管)
  • 祈年、新嘗祭使用酒甕(平安初期の作)



御 岩 神 社

〒311-0402 茨城県日立市入四間町752
TEL:0294-21-8445
FAX:0294-21-8446
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